ポールスミス

歴史 ビジネスの拡大

20歳でポーリーン・デニアと二人の子どもを養うことになったポールスミスは、いろんな仕事を精力的にこなしていきます。一時期メインの仕事はノッティンガムのテーラーの店員でしたが、少しでも多くお金を稼ぎたいと思い続けていたポールは、店の主人に自分の店を持ちたいという話を訴え続けていたそうです。 ポールスミスのあまりの熱心さに押された主人は、その店のバックルームを自由に使わせてあげることにし、ポールはすぐさまショップ作りに取りかかります。そして月曜から木曜までは従来通りあらゆる仕事をこなし、金曜と土曜 は自分のショップで商品を売るという日々を送り、このバックルームをノッティンガムで魅力のある特別な店にしたいと必死に頑張ります。 当時の仕事を通じてポールは、自分なりに仕事上の信条を形成していきました。当時を振り返りポールは「自分のやりたい事をやるという信条は決して崩さなかった。」と懐古しています。 “The job changes you, you don’t change the job.” 「仕事によってあなたは変わる事もあるが、あなたが仕事を変えることはできない」というものが、現在でもポールが大切にしている信条として彼の心の中にしっかりと刻み込まれているそうです。 1970年、ポールが24歳の時、ポール・スミス リミテッドを設立。そして、その後4年間で専門的なデザインワークとビジネスについてのあらゆることを、実際の仕事を進める中で学び取っていきます。ノッティンガムのショップや、オーガナイザーとしてのポールの仕事ぶりは、やがてロンドンのファッション業界で噂されるまでになっていたということです。 そして4年後の1974年には、噂を聞きつけたブラウンズ社に、専任のコーディネーター兼デザイナーとして採用され、自分のショップを経営するかたわら、3年間ブラウンズ社の仕入れ業務とブランドの商品デザインを担当し、同社の名声を高める大きな原動力として活躍します。 その後ノッティンガムのショップはもう少し大きなところに移転をし、1976年からはパリのアパートメントで独自のコレクションを開催し、次の年からは毎年パリでコレクションを開催出来るようになっていきます。初年度はわずか2名のバイヤーしか集まらなかったそうですが、回を重ねるごとに、その人数は増えていきます。 この時、展示会の受注後の工場の生産手配、納品チェック、梱包発送、請求書作りなどはすべて、ポールスミス一人でこなしてきたということですから、世界的に有名になるまではまさに馬車馬のように働いてきたわけですね。 1979年の33歳の時に、念願のロンドンにショップを出店し、このお店は、ロンドンのみならず世界のファッション市場で、注目されるショップとなっていきます。そして1982年にはロンドン、エイブリィロウに、1984年には日本の東京青山に、1987年にはニューヨークにと、次々とオンリーショップが誕生し、1989年には英国の名門 デパート「ハロッズ」に単独のコーナーショップとして出店することになります。 ポールスミスは少なくとも80年頃までは、会社のあらゆる仕事をすべてひとりでこなしてきたと想像できす。温和な表情からは伺え知れない、極めてタフなファッションプレイヤーと言えるでしょう。